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2014/05/05

ゆゆ式のハミング

 なんとなくゆゆ式OP、EDのクレジットのフォントを調べた。画像の赤枠で囲ったやつね。


 ゆゆ式にはフォントワークスの名前がクレジットされてるから、たぶんフォントワークスの書体だろうと思って調べたら、どうやら「ハミング」ってフォントのようで。
「まじめな印象を与えながらも適度なファッション性を加味した書体を“ラウンドタイプ”で表現した書体です。(中略)丸ゴシック体よりも《大人で柔らかい》イメージを表現できます」
というコピーの通り、丸ゴシックの雰囲気でありながら、シュッとしていて大人っぽい印象もあるフォントだよね。ゆるさの中にハッとするようなリアルさを感じさせるゆゆ式に、よく似合ってるんじゃないかな。

 ウェイトは全く自信が無いんだけど、恐らく「D」じゃないかなあと予想。EDの方が丸っこくも見えるので、OPとEDとでウェイトが違うかもしれない。

 ちなみにフォント好きじゃなけりゃフォントワークスを知らない人も多いだろうけど、そういう人でもこのフォントは知ってるんじゃないかな。

http://www.lets-member.jp/about/fontuseexample/anime/img/03.png

 キルラキル観てた人なら知らないはずのない、この「ラグランパンチ」もフォントワークスの製品なのです。他にも「筑紫明朝」だの「ライラ」だのと、見覚えのあるフォントをいっぱい作ってる会社なのよ。

 って、いつの間にかフォントワークスの紹介になってる。そんなつもりはなかったんだけどなあ……。

2014/04/24

ノーイベント グッドライフの革新性 〜非日常の中の日常の「素敵」〜

 ゆゆ式は偉大である。それはその面白さに依ると言うよりは、むしろ思想の革新性に依るものだ。

 ゆゆ式の思想である「ノーイベント グッドライフ」。この概念は、従来日常系と呼ばれてきた作品がいかに非日常的な思想で描かれてきたかを、はっきりと認識させた。それゆえにゆゆ式は偉大なのである。

 これまでの一般的な日常系で描かれてきた「素敵」というのは、非日常の中に存在するものだった。客観的にはありふれたイベントである入学式や文化祭であっても、それを体験する個人にとっては大切な思い出になる。それはとても素敵なことだ。そういう思想に基づいた「素敵」が、これまでの日常系で描かれてきた一般的な「素敵」だ。

 この種の「素敵」にズームアップし、作品自体を完成度の高い青春ドラマに作り上げたのが、アニメけいおん!だ。平沢唯の軽音部で過ごした3年間は、客観的にはごくありふれた高校生活だけれども、彼女自身にとってはかけがえのない思い出である。そして彼女に感情移入した視聴者たちも、そのかけがえのなさを共有することで感動したわけだ。

 このような、日常の中の非日常に「素敵」が存在するのだとする思想は、本質的にはスポーツ系やファンタジー系と同じ立場である。つまり、一見何もないかのように見える日常の中に、ズームアップすることで小さな非日常を見つけるという技法を用いることで、非日常的な「素敵」を拾い上げているわけだ。

 しかしながら、ゆゆ式で描かれる「素敵」は、このようなものとは全く異なった、言わば真の日常的「素敵」である。

 まず、ゆゆ式では基本的に、イベントらしいイベントがスルーされている。入学式や文化祭は回想の中でしか言及されない。正月も初日の出や初詣などは描かれず、いつも通りの「唯ちゃんち」が主な舞台である。進級の際も目立って特別なことはなく、後輩ができたり新しいクラスメイトと話したりすることもない。他の日常系と比較しても、ゆゆ式の登場人物たちは際立って無変化な日常を送っているのである。

 ゆゆ式において唯一、非日常的な要素が描かれたのは、アニメ最終話の海水浴編である。しかし私は、むしろここにこそゆゆ式の思想が表れているように思う。彼女たちはせっかくの海水浴だというのに、遠泳もビーチバレーもせず、言葉遊びに興じる(一体「モンテディオ山形」のどこに、海水浴要素があると言うのだろう)。また更に象徴的なのは、縁の台詞だ。彼女は海外の海と日本の海を比較して、「日本には唯とゆずこがいる」と述べるのだ。海になど行かなくても、2人には会えるというのに。

 これはけいおん!に代表される一般的な日常系とは対照的に、非日常の中で、あえて日常にズームアップしていると言える。つまりこの海水浴編では、海という非日常を前にして真っ向からその特別さを無視することで、「ノーイベント グッドライフ」――何もない日常にこそ「素敵」が存在するのだと主張しているのだ。これは従来の日常系とは正反対の思想であり、ゆゆ式が極めて革新的な日常系であることの証左だ。

 ここまで読んでくれた方には、どうだろう、少しはゆゆ式の革新性が伝わっただろうか。今回はアニメゆゆ式を前提として話を進めてきたけれども、もちろん原作においてもこの思想は否定されない。けいおん!スタッフが原作けいおん!からドラマ性を見出したのと同じように、ゆゆ式スタッフもまた、原作ゆゆ式から「ノーイベント グッドライフ」を見出したのだと思われる。アニメスタッフには惜しみない賛辞を贈りたいものである。

 ちなみにゆゆ式にはもう一つ、「漫才師ではない」という重要な思想があるけれど、それについてはまた別の機会にということで、この文章はここで終わる。最後まで読んでくれた方、ほんとに愛してるよ〜(縁ちゃん風

2013/07/02

火曜日は

 ゆゆ式の日ですね。

 ……って言うのがネタになってしまって寂しい。ゆゆ式観てる時間が本当に幸せだったのよー。「ゆゆ式に青春を重ねていたから、終わってしまったのが寂しい」って言ってる人もいるけれど、私の場合は純粋にゆゆ式を観ていた時間そのものが大切だった感じ。

 未だに胸がいっぱいで、感想を書く感じにはなれないわ……。おやすみぐっない。

2013/06/14

パペット・セオリー説

 ゆゆ式パペット・セオリー説という話を、海外のファンが展開したらしい(http://htn.to/ivyXoa5L)。リンク先を読んでもらえば一目瞭然だけれど、まあ端的に言えば「ゆずこと縁は、孤独な唯が作り出した仮想人格である」という解釈だ。
 これはもちろん冗談にしかならないような不的確な解釈だけれど、二次設定として楽しむ分にはかなり面白いと思う。教室の隅で2体のパペットを操りながら「唯ちゃん愛してるよ〜」などと独りで喋り続ける唯の姿を想像してほしい。ゆゆ式の狂気を感じさせるナンセンスさに、この説の過度に強調されたシリアスさがよく似合うじゃないか。
 また、「ゆゆ式は哲学」という解釈には否定的な私だけれど、パペット・セオリー説を採用するならば話は別。死について語る唯の狂気染みた背中からは、確かに哲学の匂いが漂ってくる。
 ユートピア的な日常系には得てしてシリアスな二次創作を求めたくなるものだけれど、1枚のイラストからこんなに美味しい解釈が引き出されるなんて素敵だよねえ。今後更に展開されることを期待。